Archive für Oktober 2010

空と色

別に色即是空ではないです。

色に飢えています。というか、色を与えてくれる言葉に飢えています。
それは別に明確な意味をなす言葉でなくて、
「小さな茄子を踏んだ子供はトカゲの招待を受けて、深緑の中で隣人の秘密に触れた」
みたいな。いや、この例はあんまりよくない。

言葉によって余白が描かれると、それは音楽の間のようなもので、そこに名前を持たない色が滲み出してくる。そしてそれは美味しくて保存がきかない。

空しい訳でも、胸苦しいわけでもないのですが、
(お腹ではない何か)が空いてます。

Servus TV

23. Oct. 23h-

Servus TV  Thema “Red Bull Flying Bach

先日のエコークラシックの授賞式の模様(私は日本にいたため不在でしたが)や、フライングバッハについてのインタビューが放送されます。日本からもオンラインで観られるかもしれません。
フライングバッハは、今年11月末のモントリオールのバッハフェスティバルを皮切りに、来年はドイツ内外のツアーが予定されてます。
頑張るぞっ!

帰宅

21_21で心臓ピクニック3日間、ハレ芸術大学で”andropolaroid”20分、ミュンヘンでservus.TVインタビュー、そしてやっとベルリンに帰って来ました。

東京では、ミッドタウンにある安藤忠雄さんデザインの21_21Design Sightにて開催中の、今をときめく佐藤雅彦さんによるディレクション”これも自分と認めざるをえない展”にて、ワークショップ”心臓ピクニック”を展示アーティストでもある渡邊淳司さん、安藤英由樹さん、そしてHEREing Loss以来の付き合いである坂倉杏介さんとともに行いました。

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内容についての詳しい説明は、野暮になるのを畏れて省きますが、要は「都市生活の中での自分の心臓に出会う」そして「心臓を持った生き物同士、お近づきになって交流する」そして「三々五々にお別れ」という、ピクニック形式のワークショップでした。

Tsubasa Yamamoto
<model: Tsubasa Yamamoto>

都市生活では色々な感覚をあえて遮断しないとやり切れない部分が多いと思います。色々な物が私達の体に見知らぬうちに入り込んで来ているし、私達は他人に影響を及ぼしている。私にとって、97%くらいの出来事は自分のコントロール外で起きているような気がします。ある意味自分をバラバラにして放り出してしまうことって容易い。踊りなんかやってると、いかに身体が意志に反して身勝手か(もしくは意志が身体に反して身勝手か)を毎日痛感させられます。だから「ある!」と感じたものが、途中で立ち消えてしまうことなく他人に伝わると、めちゃくちゃ嬉しい。その場合の「ある!」は物や精神性とかでなく、指差すと消えてしまう「気配」みたいな物。
今回の「心臓ピクニック」で私が取り出したかったのは、そんな都会的な心臓。筋肉と血に溢れた「ハツ」ではなくて、「ノミの心臓」「胸が張り裂ける」「胸が踊る」に属する心臓。「心臓」という言葉を与えられたから存在し始めた「心臓」。「Heart」に示される「心&心臓」。
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<21_21中庭の空>

途方に暮れてる時も、人を助けている時も、いじめてる時も、爆睡してる時も、拍動し続けて自分を支えてる心臓。 よく犬を「無償の愛」という描写を聞きますが、心臓も自分を最初から最後まで無心に支えてくれてる伴侶。(もちろん心臓病をお持ちの方にはそんな生易しいものではないですが、、、)「胸に手をあてて、、、」とはよく言ったものです。手のひらの心臓ボックスを味わっていると、自分の心臓に後ろめたいことはしづらいかも(笑)。もしくは喧嘩しても「お前の心臓に免じて許してやる!」とか。生体としての自分はまぎれもなく心臓の機能に支えられているけど、「わたし」の社会的属性を支えている心臓的な何か。それは私達の日常にどう関わってるんだろう。

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<虫の心臓はお尻にあるそうです>

3日間、7回に渡る「心臓ピクニック」には計56人の方が参加して下さいました。
丁寧にサポートして下さった21_21のスタッフさんを始めとする、関係各位の皆様、どうもありがとうございました!
参加者の中には4歳の男の子もお母さまと一緒に参加して下さって、私達にとっても刺激的でした。
こちらに↓そのお母さまの感想が掲載されています。

子連れアート鑑賞日記

ちなみに私の2歳になる姪っ子が心臓ボックスに出会った感想は、満面の笑みで、

「きっもちいい〜〜!」

でした。 シビれる。

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心臓ピクニック

今月、下記の企画内でワークショップを行います。
場所は東京ミッドタウンの21_21Design Sight、ダンスのワークショップではなく、
テーマはシンゾウです。
去年の私のインスタレーション”HEREing Loss-個室バージョン”と、安藤英由樹さんと渡邊淳司さんが現在21_21で展示している”心臓移動”から発展したアイデアでワークショップを行います。

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佐藤雅彦ディレクション
”これも自分とみとめざるをえない”展
21_21 Design Sight 企画展

ワークショップ「心臓ピクニック」

予約はこちら

心臓は生命を維持するために毎日10万回以上拍動していますが、私達は、その鼓動を、緊張した時や怪我をした時など、特別な場合以外、意識することはあり ません。本ワークショップでは、自分自身の鼓動を振動スピーカーを通じて身体外部に感じ取れるようにするとともに、名刺のように交換したりして、コミュニ ケーションを図ります。それらの行為を通じて、自分自身の身体の存在を感じなおす試みをしてみたいと思います。

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日時:
10月15日(金) 15:00、18:00
10月16日(土)11:30、15:00、18:00
10月17日(日)11:30、15:00各回30分程度
 
場所:21_21 DESIGN SIGHT B1サンクンコート(雨天時館内)
ナビゲーター:渡邊淳司(参加作家/知覚研究者)、川口ゆい(振付師・ダンサー)、坂倉杏介(慶應義塾大学講師)、 安藤英由樹(参加作家/研究者)
定員:各回8名(予約制)
予約受付:受付中。定員に達し次第終了
参加費:無料(ただし、当日の入場券が必要です)

頑固

で狭量で小心者だと自分で思ってます。
苦手な事には身体が如実に反応する。
ほんとにわがまま。

昨年参加したヘレナ・ヴァルトマンのブルカボンテージの役を降りました。この作品自体、非常に葛藤をともなったクリエイションと公演だったのですが、今回インド・パキスタンツアーをすることになり、さんざんさんざんモメた末、結局ツアーはスリランカとインド、アジア系ドイツ人の方が私の役をやる事になりました。

当初はパキスタンの洪水の後、「こんな時にこんな作品をやるのは、大震災の後の日本に外国人が”ヒキコモリ・タトゥー”というタイトルで原爆のアニメーションが流れる作品をやるようなもので、どうしても肚がNOと言っている。」と辞退希望のメールを出したら、「何をいまさら!」の大さわぎ、代役も拒まれ、結局名前も日本人であることも公表せず、ただベルリンのダンサーと言うことでなら、と一度妥協。いくらアーティストは自由だなんだと言い張っても、非常事態になれば国に守ってもらう身、それは私にとってはドイツでなく日本。そのリスク(というか迷惑)を無視して、自分で理解できていない異文化のさらに危険地帯で、挑発的だと認識している(無責任に思える)行為をするなら、いざとなったら自爆覚悟の信念を持ってそれに望むべき。それがこの作品ではとてもできなかった。だけど大勢が関わっている1年越しの企画を、簡単に潰してしまう権利も私にはない。

だけど。ドイツのゲーテインスティテュートが企画しているのだから、参加者の身の保障はドイツがしてくれるだろうと勝手に思っていた、自分の軽率さ。条件に出していた保険も手配されていず、「全て自由意志による自己責任」というステータスが判明した時の、背筋に走った恐ろしく冷たい感触。「みつからない」と言われた保険をすぐに自力で手配できた時の不信感。出演者は全員外国人、ひとりは祖国と思想的に緊張関係にある。つまりいざと言うとき、その人には何も守ってくれる存在がない。それを分かっているのに、助成金や信頼関係を圧力に断れない空気をつくり出して、セキュリティに関しては「現地は安全、だから自己責任で来い」だけど、その基準が分からない。友人が尽力して集めてくれた現地の情報を元に、こちらから出した質問には無回答。なのに作品はヒューマニズムを謳う。キモイ!!!

きっとドイツ人にとっては全て常識のもとに動いていて、向こうからすれば私の反応はヒステリックで理解不能、でも私にとっては余りにも政治的な部分と色々ダブり過ぎて、いくら「政治的でない」と信念を語られても一度妄想に捕われちゃったらムリ。ダンサーとしての責任感とか体裁と、個人的感情の狭間でブレイク・ダウンを起こしました。結局は、イデオロギーやモラルやキャリアがどうとかいうより、熱が出て吐き気がして涙が止まらない程、とにかくハラワタの底から作品の全て嫌になっただけ、去年通った道をもう二度と踏みたくなかった、これ以上自分を騙したくなかった、というのが本音。頼むからおまえらドイツ人同士だけでやってくれ!!としまいには怒鳴り散らしていました。

きっとこんなに過剰反応になったのも、私の狭量さ+私が日本人であることが関係していると思います。一概に日本が、ドイツがとは言えないけど、「連帯責任」「ヒエラルキー」「個人主義」みたいなものに関わる双方の文脈と認識の差はやはりとってもある気がします。「イラン人のモハマド(パーカッショニスト)は危なくないの?」と心配すれば、「そうだね、そんな人と一緒に移動してたら自分も襲われる可能性が高くなるね」という返答が普通に返って来る社会。(全員とは言いません、もちろん)日本がいいとかいう問題でなく、土足がいけないのか、床に座る方がいけないのか、という議論は、お互い”郷”を出てしまえばいつまでも平行線という事です。

何はともあれ、さんざん周りを騒がせて迷惑かけて、作品から飛び降りました。
結果として、ドイツ人の方が私の役をやってくれる事で、作品的にもようやくアフガニスタンと日本のバランス、そしてドイツ的チームワークが作れると思います。関係各位の皆様、本当に有り難うそしてごめんなさい。だけど本音、自分を見失わずにすんだ心地です。すみません、しばらくは音楽に踊りに自分の興味に没頭します。

このことを果たしてブログに書いていいのか、どう書けばいいのか、未だに自分に問いかけていますが、日本語だし、海外で活動している他のダンサーの方々に何かの参考になるかもしれないとも思い、完全に主観的に書かせて頂きました。
というのも、ツアーを始めに断っていたドイツ人スタッフの事も後から自分で確認して知り、その理由が初めからオープンにされていたら、お互いのスタンダードの違いがクリアーになって今回の面倒が避けられた気もするので。(ま、それを畏れていたから、全てクローズドで交渉されたんでしょうけど。。。)

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