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Archive für Oktober 2009
アフガン x 日本
27.10.2009 von yui.
カブールからヘレナのプロダクションの為にやってきた、アフガニスタンの演出家・女優のモニレーがベルリンでパフォーマンスと彼女の制作したフィルムを上映するというので、行って参りました。
< アフガニスタン1989年-それ以前と以後 女性の自決権>
と銘打たれたイベント、18時開始と言われていってみれば 、会場はまだ思い切り準備中でお客もふたりくらいしかいない。アフガン料理のビュッフェがあってそれで腹ごなしをしてるうちに、なーんとなく人が集まり始め、ようやく会が始まったのはその1時間半後くらい。
民族衣装に白いトレーナー&ジーパン、スーツにネクタイ、というドレスコード錯乱トリオの民族音楽の演奏から始まったこの会。モニレーのお芝居は「鶴の恩返し」と「エースをねらえ」と「マッチ売りの少女」のアフガンミックスというか、それくらい昭和の戦後日本のカル チャーを私に強く思い出させ、ある意味衝撃でした。台詞はわからなかったのですが、きっと会のタイトルからも、虐げられている女性の姿を描きだしているの だと思われ、その演技スタイルは非常にクラッシックなオーバーアクトで、あまりに強烈にハイテンションすぎて、こちらの笑いのツボに入ってしまって困った りしつつも、要所要所にはいくつもはっとするような美しい瞬間が。そして彼女が最初に歌った歌にはとても心を打たれました。そして彼女の気迫には、何か美 輪明宏さんを彷彿とさせるような問答無用感があり、もはや演出にダメだしをするとかいう域でないような(笑)何て言うか、その表現スタイルも構造もすべて ひっくるめて戦後日本の雰囲気とビシバシだぶる部分があるねー、と馬場ちゃんと驚きを隠せずにいるなかで、モニレー制作の短編映画上映。
「おしん」でした。 試練の連続。絶望の淵。そしてそれを盛り上げる、情感たっぷりのBGM。
カメラの構図とか、カット割りとか、印象的な所もありますが、なにより「おしん」でした。
またしても、うわっ、すごい知ってるこの間!という感じ。
驚くべきアフガンと日本の感性の共通点。客層も含めて戦後の日本を見ているようで(生まれてませんが)、言葉は分からないけど、なんだかもの凄く入って来ました。モニレーがどんだけ過酷な状況の中で演劇や映画活動をしているか、そういうのが、作品のメッセージとしてというよりも、日本の芸能史とダブる事で体験的に強烈に伝わって来た、というか。
そして、その後。宣教師ではないかと思われる、あきらかにしゃべりのプロが何か演説をして、お祈りらしきものを唱え、何人かの観客はそれを復唱、、、?引き続いて、お前は羽布団会社の社長だろう、というオーラを放つ「詩人」がこれまた何か朗読。そしてまたミュージシャン。今度はシンセを弾語りする少年も一緒に、急に薄っぺらい音楽が延々と。このノリは、、、まるで何かの集会。
いや、確かに日本の戦後の芸能界もそうだったし、未だにかなりそうだし。
気のせい、だといいんだけど。
強烈です。
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万事
24.10.2009 von yui.
塞翁が馬 、とでも言うのでしょうか。
何がどう流れ着くのか、予測がつかない。
いやー
衝撃です。
すみません、またきちんと書きます。
Geschrieben in Allgemein | 3157 Kommentare »
復活
22.10.2009 von yui.
ヘレナの新作”BurkaBondage”のクリエイションがハード(主に精神的に)だったために、激ヤセをしてしまった私。
公演を観に来た知り合いの誰しもが舞台の私をみて驚き、皆口々に「食べなきゃ!」と私にごはんを作ってくれたり、レストランに招待してくれたり、自分でもやはり一番食べたい日本食を毎日作って、この10日間で復活しました(笑)皆様ほんとにどうもありがとう。
この作品、テーマは縛りであったり、覆い隠すブルカであったり、その伏線になるものは日本やアフガニスタンで、私は日本人として参加するからにはそれなりのというか自分としてはかなりの覚悟を決めて、1年前にお話を頂いたときから色んな形での準備を始めていました。今まではアジア人や日本人を探している、という仕事は受けてきませんでした。(イスマエルのベネチアをのぞいて。あれはイスマエル自身も自分をパロディにしていて、そこにユーモアがあったので)。木に例えれば、川口ゆいという木の枝は海を越えてベルリンまで伸びてベルリンの空気で光合成をしてそこで花を咲かしているけれど、根は日本にいまだにしっ かりとあって、そこから大事な養分をとり続けていて、きっとこの先もそれは変わらない。花は折られてもまた咲かせるけど、根を荒らされては困るので、そこには手をださんで下さい、と避けて来た訳です。
出演者は私を含めて4人ですが、その内二人はミュージシャンのモハマドと映像作家・画家の馬場ちゃん。実質的にはもう一人のパフォーマーであるヴァニアと私のデュオです。だけどヴァニアはポルトガル人。ブルカの文化圏でもない。そしてダンサーでもない。お互いの文化背景も身体言語も違う中で、アフガニスタンと日本をテーマにした作品をやる。だからヘレナは「ゆいが日本でヴァニアがアフガニスタンという線引きは無理があるからしない」と言い、それは私にとって非常に混乱と無理を招く事態に(笑)
私としては今回は「日本人として舞台に立つ!」という覚悟と意気込みがあったのですが、出ばなをくじかれたというか。そしてヘレナにヴァニアとのインプロビゼーションの最中に「日本人としてリアクションするべきか、ヨーロッパにいるダンサーとしてリアクションするべきか」という質問をしたり。それくらい日本とドイツのコミュニケーションコードは違うし、ダンサーと役者の身体言語も違うことを、私は体験的に知っています。だけどその質問の意味が、日本に住んだ事もなければ踊った事もない人には理解できない。そして、予想はしていたけれど、日本的なしぐさや間は絶望的なくらい、その意図が伝わらない。例えば、心を込めて漢字を書いても、なんか面白いけど意味が分かんない、みたいな。ドイツではドラマツルギーというのがとても重視されていて、それが何かというと、「なぜ、こうなるか。このシーンはどういう意味を持っているか」というようなことをいちいち意味付けしていくという事です。だからそこに何かがあることはうすうす感じても、それが読み取れないために「素敵だけど意味がわからない」ということでその要素がカットされていく。その度になにかが自分の中で削られていくような感覚に陥りました。
ヴァニアはヨーロッパ人でダンサーでもないので、彼女の身体言語はヘレナに近く、ヘレナにとっては理解しやすい。でもヴァニアに対する私のリアクションを、こちらの人に伝わる様に表現すると、自分的にはなんだか東宝ミュージカルを演じているような、なんとも言えない違和感を感じる訳です。それがパロディやギャグとして扱われていれば割り切って楽しめますが、そうでもなくて、それを日本人の表現として捉えられては正直困る、という葛藤が常にありました。異文化をテーマとして扱うからには、その文化の謎に対してやはりリスペクトと忍耐が必要だと思うのです。私も頑固なんで、何度もヘレナと衝突しました。そして日々削げ落ちて行ったワケです(涙)だけどそれだけぶつかれる相手というのも、本当に貴重な存在。そういう事を通して、人生的にも淡い期待を捨てることができたり、どうにも譲れない部分が見えて来たりするんだよね、と言ったら、ドMだと言われました(笑) まあでも、ヘレナとの仕事が平穏なわけはないことは分かっていたので、それも含めての覚悟だったんですが。
私がこっちで、踊りと言われる舞台をみてよく薄ら寒い気持ちに陥るのは、 いかに身体が信用されていないか、ということを思い知らされる時です。それは日常的にメディアの世界で行われていることで、そこでは言葉にできないもの、絵にならないものは価値がないどころか存在しないくらいの勢いで、逆に言葉と絵の力で勝手な筋書きを作って情報を操作したりしてる。ダンサーや音楽家であっても社会と関わって生きて行くのは当然だけど、それを消化した身体から紡ぎ出される踊りや音楽は、どうかそこから自由であって欲しい。そこにも世界はあるのだから。それを改めて痛感しました。
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怒!!!
16.10.2009 von yui.
http://www.spiegel.de/kultur/musik/0,1518,654823,00.html
はらわた煮えくり返りました。
キース・ジャレットのベルリンでのコンサートに対する批評。批評にもなっていない。
彼が客席の雑音に神経質で音楽をくつろいで聴きたい観客に窮屈な思いを強いたかとか、100ユーロのチケットで楽しめたのはたった15分だとか、いくつかのインプロのあとには安全な方に逃げてありものの曲を弾いたとか、彼がいかに変わり者で奢っているかを描写することに終止して、本当には何も聴いていない。しまいには「キースはインプロをスタジオで録音してファンを楽しませるか、(おとなしい)日本人の観客を一緒に連れてくるべき」と皮肉ってくくっている。
こんなんで批評家を名乗るやつの耳にはクジラの煮汁を注いでやる!
キースは私達に耳を澄ませて、それをその瞬間に音楽という形にしていくという、激しく集中力のいる作業をしていたのだから、そこで携帯がなったり、写真をとったり、おしゃべりをされたらたまったもんじゃないのは当たり前だろーーーー!!彼は本当に音楽を必要としている聴衆と、彼に聴こえてくる音にたいして誠実なだけで、あの晩の彼とその音楽は私にとっては全てが正直だった。彼は自分が音楽という世界のただの通路であることを自覚しているし、その役目にたいしてどこまでも謙虚で真摯な姿に、私はあの晩救われました。その点では彼にぴったりの「日本人の観客」だったのかもしれまへん。
「本人が環境に文句があんなら、なんでソロコンサートをやんの?」というオタンコナスな質問に対して、ECMのプロデューサーの解答は、「フランスや日本やイギリスの聴衆はドイツ人よりも集中して聴くし、最後の音が消える前に拍手をしたりしない。これはドイツの観客の傲慢さであるし、芸術を侮っている」というもの。それがドイツ人一般に適用されるかは別として、少なくともあの晩の何人かの無神経な聴衆にはあてはまる。そして、彼らは本当には音楽を必要としていないし、楽しめない。
友達がメールにコピペしてきた、キースがCDに寄せたコメント。
”Communication is all. Being is all. People are deep, serious
creatures with little to hang on to. So, loss may be a big thing, but
what remains becomes even more important than ever. Just never let go
of the thread. And be honest with yourself.”
私はこれを今日初めて読んだけど、この言葉とそれを包む全てをあの晩に聴いたし、それで救われました。でも、それは私がこの世に求める方向が似ているから聴こえたのかもしれない。
インテリやアーティストの中には自分の存在を肯定するためのロジックを探している人が多くて、
彼らは自分の言葉や作品が感性の世界のただの通路であるべきことを受け入れてない。
時々彼らに叫びたくなる。
頼むから静かにして下さい。
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最高の夜
13.10.2009 von yui.
BurkaBondageベルリン公演も無事終了し、一晩空けた昨日の夜はベルリンのフィルハーモニーでキース・ジャレットのソロコンサート。
ずっと心待ちにしていた自分へのプレゼント。そして友達への誕生日プレゼント。ebayで気合いでチケットをゲットしました。
そして。
うあ〜〜〜!!!
最高っっっっっ
思い出した、思い出した、全部思い出した。
なんで自分が踊ってるのかを。
自分はただの踊りバカなのを。
ほんとに私たち、どうしようもないできそこないだけど、生きてんだし、それってやっぱり凄い不思議で深くて美しい事を。
会場の雑音で2回目に演奏を中断したキースが言った言葉、
「集中力って面白いもんで、集中とストレスは違うんだよね。いまの世の中、僕たちはストレスに追われ過ぎてて、集中していない。集中するのにはストレスはいらない。今晩は集中しよう」(確かこんな感じ)
それはずっとヘレナのクリエイションの最中に私が感じていた事だった。
ある人達はパンを切るためにパン切り包丁を、肉を切るために肉切り器を、野菜を切るのに皮むき器を使う。だけどある人には包丁一本で全てが足りる。
モハマドには音楽という包丁が
馬場ちゃんには絵という包丁が
私には踊りという包丁がある。
その一本の包丁ですべてを切ったり、形にしていくために、私達は学んで自分たちを変えていく。
そしてその瞬間は激しく集中しているし、良く見ている。さもないと切りたくないものまで切ったりしてしまうから。
だけど、包丁を信じないと、もしくは自分が変わろうとしないと、人は皮むき器をとりに、パンきり包丁をとりに、ばたばたとせわしなく動きまわって、台所ももので溢れかえって、片付けに追われる。周りが見えなくなる。それがアジアとヨーロッパの違いなのか、なんなのか、一概にはいえないけど、アジアの人の方が一本の包丁を信じる傾向にある気がする。
昨日のキースはもの凄く集中していたし、全てに耳を澄ませていた。
彼には私が聴こえてる、と感じた。それは奇跡的な感覚だった。
昨晩、私が聴いていたのはキース・ジャレットではなくて、今、私がいるこの世界だった。
後半はずーっと頭の中(というか外)でありとあらゆるものと踊り続けていました。
人って、本当に凄い。面白い。
感謝!!!
Geschrieben in Allgemein | 2225 Kommentare »
