Archive für März 2009

トミーが東京にやって来る!

東京のダンサーの皆様に朗報!

以前DDDでも大きく取り上げられた、ベルリンで活躍するフィンランド人振付家Tomi Paasonenが4月にアーキタンツに講師としてやって来ます。
元ハンブルグバレエ団ソリストであったけど、事故でダンサーとしてリタイアを余儀なくされ、その後はベルリンとサンフランシスコに拠点を置いて振付家として精力的に活動を続けるトミー。フィンランド独特の神経をたぐり寄せるような、彼のインプロタスクが果たしてバレエクラスで行われるかは疑問ですが(汗)、バレエのテクニックは好きだけど、感性がクラシックに収まりきれないという方々に超お勧めです。

彼の作品が日本で上演されないのはとっっっても残念ですが、そして自分が東京に行けないのもマジで悔しいのですが、東京の皆様、この機会に美しくクレイジーなトミーの魅力にぜひぜひ触れて下さい〜!

バロックな時間

先日リハーサルにバロックダンスのマイスターがお見えになりました。バロックスタイルの身のこなしや、芝居の型、バレエやカントリーダンスの起源ともなるバロックダンスを、4時間に渡りじっくり講義。とても面白かったです!バロックダンスのステップはバレエに通ずる物ばかりなのですが、動きは遥かに地味で押さえが効いていて、それが意外に難しい(笑)歴史の中で人々が、視 覚、音楽、意味、空間すべてに調和する一つのステップを編み出して完成させるために、どれだけの情熱と時間を費やして来たのかと改めて感動。当時の人々にとっては宇宙にも等しいくらい変貌している、この現代に調和するステップってどんなだろうか、と思ったり。

ロウソクのみに照らされた薄暗い劇場では、遠くの観客が人間と絵を差別化できるように、手を真横でなく斜め前に伸ばして身体を3次元に見せるポーズが編み出されたとか、悪者や悪い知らせは左からやってくるとか、ダンスの時以外は常にアシンメトリーのポーズで立っていたとか、貴族が王様にお辞儀をする時は目線は王に据えたままで「あなたは王で私より位は上ですが、私もあなたを見つめる権利のある貴族です」という主張をしているとか、興味深いお話も色々。「型」は、社会で理解されているコードであり、コミュニケーションの円滑かつ効率的に進めると同時に、もはやいちいちそれについて議論する余地はありませんよ、という暗黙の撥ね付けも感じられる。美しき鉄壁というか、、、思わず昔訪れたロンドンで、社会の見えない壁の厚さにげんなりとした記憶が蘇る。壁かと思いきや暖簾だった、みたいな裏切りを仕掛けたくなります(笑)

あの世ダンスとか

久々に書き込みが立て込みな感じです :)

先週はマーティン率いるTwo Fishの新作を観劇。面白かった!セットも何もない超シンプルな空間に5人の出演者、多重人格者の頭の中をのぞいているような気分に。「微妙にエグッ」ていう瞬間が沢山あり、家に帰ってゆっくり吟味しよう、という気持ちになる。マーティン曰く結構ハードなクリエイションだったそうだけど、それに相応しく?観劇後も消化に時間が必要。そういうの好きです。しかしNICOの共演者であるイギリス人イタリア人ベルギー人はドイツ語でしゃべり倒されたため、置いてけぼりに(笑)

打って変わってサシャ・ヴァルツのDialog 09。ゲネプロですが15ユーロ。改装されたばかりでまだ何もない空の美術館でダンサー70人と楽団のパフォーマンス。500-700人の観客が徘徊する建物のあちらこちらで皆踊ってる。立ち位置の悪い観客はインカムを付けたスタッフに押しのけられる。なんやねんうちらあんたらのグルーピーちゃうで困るんなら観客席作らんかいダンサーかて自分で客と渡り合えるやろ、とむっとしたり。友達が何人も出ていたけど、余りのあの世ダンサーぶりに、始めはこちらが気まずくて目を合わせられず。しかし50cmの距離で他人のフリも失礼だろ、と思って手を振ったり隠れ投げキッスをして挨拶をしていく。それぞれの魅力を知っているだけに悲しかったり、悔しかったり。優れた彫刻は鑑賞者と対話してくれるけど、彫刻家されたダンサー達は私にはただひたすら「あちらの方々」で、何も語り合えない。さっさと彫刻を置いて、生きてる人間を解放してやってくれ、という気分に。歌手のテリーの一言「怖い、、、」(笑)いや、きっとそれでも大盛況になると思います、この公演。人それぞれ価値観は違うし、私のやってる事を観てドン引きしたりムカつく人もいるワケで、いいんですそれで。

でも、私は結局マスダンスや大スペクタクルには興味がない、やっぱりオフな人間なんですわ、と思いつつ、次の予定もあったので友達と途中で引き上げました。その友達が、帰り道橋の上で一人アコーディオンを奏でるミュージシャンに、「あれに15ユーロも払ったのなら、彼女にも払わねば!」とコインを渡す姿に、さすがスイス人カネに鋭い!と思いつつも、その憤りが愛おしく思え、やはりこの世でじたばた踊るのが楽しいよね、とシュプレー川に呟いたベルリンの一夜でした。

未来の大人たち

今、毎週末子供のためのワークショップ&作品づくりをしています。じっくり半年間かけての作品づくり。お相手はベルリンの、ダンスを習っている9-12歳の少女達12人。手強い。日本の子供ともかなり違う。正直私は全く先生タイプではなく、教えもあんまり好きではない(といいつつも、実際に教えをやると楽しいのですが)、ドイツの子供と関わるのも初めて(息子とその友達を除き)。だから今回も「教える」のではなく、「作品を創る」という心構えでおります。

最初の2、3回は彼女たちのアナーキーぶりに途方に暮れて、「もうダメかも、、、」とドイツ自体にすっかり打ち負かされた気分の弱気な川口でしたが、少しずつ方向性が見えてきました。それでも毎回3時間、真剣勝負です(笑)思春期に差し掛かる彼女達は(やっぱりこっちの子は早熟)、子供と大人の顔がくるくる入れ替わり、はっとする瞬間が沢山。夢見がちかと思えば現実的で、大胆かと思えばいきなりシャイだったり、怠け者かと思えばエンドレスに練習したり。1ヶ月の内にびっくりするくらい成長する子もいる。そういえば自分がその年齢だった頃(いやもう少し後かな)は、1日がめまぐるしかったし、自分の存在自体がしんどいことも多かったなあ、と思い出す(いや今もかな?)。私が小学校5年生だった頃の担任の先生は、いまの私にとって、とても貴重な事を沢山学ばせてくれた。まだ20代後半の先生で、ちょっと変な所もあったような気もするけど(笑)クラスに”自由”というテーマを掲げて、殆どの事を私達の自由意志に任せつつ、自由と勝手の違い、”自由”を貫くための覚悟と責任を私達子供に考えさせ、実践させていた。あの1年がなかったら、今の私も別人だったと思えて仕方が無い。そう思うと、子供達の何と貴重な時代に関わっているのかと気も引き締まる。オリジナリティ溢れる彼女たちには、将来たくましくオリジナルな生き方を開拓していって欲しいし、私を通じて極東の空気にもちょびっと触れて欲しい(笑)

一体どうなることやらですが、個性もばらばらな12人、彼女達の幽玄な美しさと破壊的なエネルギーが気持ちよく調和かつ炸裂する作品にしていきたいです。

子供達に関するアドバイスなどあれば是非!

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はざまに

NICO AND THE NAVIGATORSヘンデル没後250周年記念音楽劇「Anaesthesia」リハーサル真っ最中です。今週は作曲家のアンドレアス、歌手のテリー&テレーザ&クレメンスも合流して、リハもヒートアップ。音楽はヘンデルの曲をモチーフに使いながらもFranuiによってリメイクされ、バロックの要素を現代的にもてあそんだ、流れる絵画のような作品になりそうです。

NICOの世界は奔放かつ繊細。そして何と言うか、平等。空間全体が常に不思議な調和で満たされている。彼女の作品をやっていると、人間関係というものが、いかに繊細なバランスの上に成立していて、瞬間ごとに微妙にもしくは唐突に変化しうるものかというのに、改めて気づかされる。リハーサルは今は全て即興ベースだけど、共演する仲間を観ていても、その繊細さ、微妙な目線や仕草のリズムに鳥肌がたったり、笑い転げたり。それは踊りで使う神経と共通する部分もあるし、また全然違う回路だったりもする。面白いことに、NICOが演出で使う言葉には能を彷彿とさせる瞬間も良くある。”型”がはっきりとありつつも、常にその瞬間に即興で応じていく所とか。音楽と言葉と仕草と踊り、色んな狭間を移ろい行く瞬間をじっくり味わいつつ、かつ潔く受け止めて行きたい。